社会福祉法人大阪市社会福祉協議会・大阪市ボランティア・市民活動センターのスタッフブログです。




2014年8月19日火曜日

 『いしのまきーおおさか交流バス』についてご報告します!(前編)

 大阪市ボランティア・市民活動センターが事務局を担う、【市民フォーラムおおさか】主催による、『いしのまきーおおさか交流バス』が8/8(金)~8/12(月)4泊5日(車中泊2日)の日程で行われました。
市民フォーラムおおさかでは、防災・減災への意識向上への取り組みはもちろん、被災地と直接につながり、支援することを目的に、ボランティアバスの運行による交流を続けてきました。6回目となる今回は、宮城県石巻市にある「大橋地区仮設住宅」を訪問し、現地の皆さんとの交流の機会を持つことができました。

今回の交流バスにも、いろいろな年齢層の人にご参加いただきました。下は17歳の女子高生から、上は70代の方まで…。幅広い層にご参加いただけるのが、交流バスのいいところだと思います。今回は、いつもは割と多い30代・40代の参加者が少なく、10代・20代の若い人たちの参加が目立ちました。
準備が整ったところで、スタッフを含め総勢38人、いざ宮城県石巻市へ出発しました!

参加者の皆さんが続々とボラセンへと集合
雨の中のお見送りありがとうございます!

台風の影響で多少、バスの運行に影響が出ると思いましたが、ほぼ予定通りに宮城県石巻市に到着しました。(雨も降っておりませんでした!) 皆さん、バスの疲れもなんのその!この日は終日、被災地見学を行いました。
お疲れ様、無事に石巻市に到着しました!!
ここで現地用のバスに乗り換えしないといけません

~被災地見学の様子~

【東日本大震災圏域創生NPOセンター】
もともとは宮城県内で地球温暖化防止活動の団体を運営されていた代表の高橋信行さんが、東日本大震災をきっかけに避難所運営に携わったことから、『共に立ち上がる事』をモットーに、各種の復興自立推進活動を展開されています。今回の『いしのまきーおおさか交流バス』の現地活動先や被災地見学などのコーディネート等、全面的にご協力いただきました。

かなりの大人数でお邪魔して本当にスミマセン!
お話を伺った高橋信行さんと太田美智子さん
バスの疲れも見せず真剣にお話を伺いました
サポートマーケット500縁ショップの様子
見学のガイドをお願いした高橋美久重さん
更地ばかりの中をバスは進みます


【『がんばろう!石巻』の看板】
この看板は、東日本大震災の津波被害により、自宅兼店舗を失った黒澤健一さんによって製作されたものです。『津波に負けたくない気持ちを形にしたかった』という黒澤さんの思いは、同時に『このボードを見た人々が少しでも元気を出して欲しい』という、ふるさとに向けたメッセージが込められています。
看板は発災後1ヶ月の4/11に完成しました
むき出しの住宅基礎部分があちこちで見られます

看板の周りには鯉のぼりやひまわりが…
この付近でも7m近い津波が襲ったという事実が…


【石巻市立旧門脇小学校】
地震発生当時、学校にいた児童は避難訓練で指定されている日和山(学校裏の高台)に避難して無事であった。校庭には津波によって破壊された可燃物が流れつき、それがあちこちで引火し校舎に燃え広がり、2日間燃え続けた。校舎については、災害遺構として保存するかどうか検討中である。

左奥の建物が門脇小学校です
グラウンドでは野球の練習が行われていました
今は校舎全体にカバーが掛かっています
グラウンドの傍にはたくさんの花が植えられています

【石ノ森萬画館】
漫画家の石ノ森章太郎氏の作品をテーマにした博物館です。(石ノ森氏自身は石巻から50キロ北にある石森町(現:登米市)の出身) 漫画のもつ創造性・メディア性・国際性を通して、豊かな感性、創造力を育むことを目的に、市民が集い、交流できる「漫画で結ばれる街ステーション」施設として、2001年に開館されました。東日本大震災の際には津波に襲われ、1階天井近くまで浸水したそうです。被災により長らく臨時休館していましたが、2012年11月に再開館されました。
バスが橋を渡れないので徒歩で移動
宇宙船というよりは虫っぽい!?
正面玄関
有名キャラクターがお出迎えしてくれました
そろそろお昼のお時間です!

石巻まちなか復興マルシェがありました
ここにも有名キャラクターが…(^O^)
ボラセンの実習生たち

【女川町】
東日本大震災にて、中心市街地が壊滅した女川町では、津波による浸水が海抜20mにも達し、港周辺の商業施設や公共施設はほとんどが完全水没した。巨大な鉄筋の建物をも横倒しにする津波の威力は我々の想像を大きく上回るものだったのです。
高台からの風景 入り江から津波が襲ってきたのです(ここでさえ水没しています)
ここに女川駅があったなど想像がつきません
港の護岸工事もまだまだ進んでいません
旧女川交番は震災遺構として残されるそうです
横倒しとなった旧江島共済会館(3階建て)
海抜16mの旧女川町立病院でさえ被害が…
女川さいがいFMのスタジオ外観

【石巻市雄勝地区】
石巻市雄勝町は震災前は4,300人が暮らす漁業の町で、雄勝硯の名産地としても全国的にも有名でした。雄勝湾はリアス式海岸で、外海から深く狭く曲がった湾であるため、津波の被害が大きく、町の中心部のほぼ全域が浸水域となり、建物の8割が壊滅的被害を受けました。

雄勝総合支所跡に仮設商店街が建てられていました
スーパーや食堂、お土産物店等が入っています



浸水域は建築制限がかかり再建の目途が立っていない
町外れに展示された避難シェルター(営業用?)

【石巻市立大川小学校】

14時46分に発生した地震から、約50分後、石巻市立大川小学校へと津波が襲いました。校庭にいた児童74名と教職員10名の尊い命が犠牲となりました。


無残に朽ち果てた校舎が津波の強大さを物語っています
校舎には立ち入り禁止のロープが張られています
裏山は想像以上に険しく感じました
関係者の方が立てたのでしょうか 『大川を愛するすべての人達へ』

見学中にも多くの人々が祭壇に祈りを捧げていました


【良葉東部(イーハトーブ)野菜工場】
東日本大震災の影響で閉校となった、石巻市立大川中学校跡地に建設された『野菜の水耕栽培工場』です。地元の大川地区の住民を雇用することで新たな地域の活性化を目指しています。大型のビニールハウス内では、水を張った栽培ベットで数十種類の葉物を無農薬で生産しています。
良質な葉物野菜を育てたいという思いから命名
2000平方メートルもの大型ビニールハウス
ベビーリーフを試食させていただきました!
温度管理を徹底し効率的に育成している



後編では、石巻市内の仮設住宅での活動の模様をご報告いたします。ご期待ください。(荒野)